この人生は「自分を生きるため」にある
勘違いしてる人が多いが
この人生は、誰かのために生きるのではない。
この人生は、誰かのために生きるのではない。
自分が自分を生きるというベースがあって
初めて、人の為が存在する。
初めて、人の為が存在する。
自分がありのままの自分ではなく
本音を偽った人生は幸せだろうか?
本音を偽った人生は幸せだろうか?
私が初めて自分のための一歩を踏み出したのは
就職活動をやめて「歌手になる」と親に伝えた時だった。
親の心配はありがたい
しかし、親を安心させるために自分の夢を諦めることはしなかった。
本音が自分の中でわかっている時
人は、本音以外のことは結局できない
もし、できるとしたら
頭で考えた理由からやっている。
・お金のため
・この仕事なら安心
・社会的に信用される
・できるから
・自分の経歴としてよくみられるから
・親に言われたから
とかね
それでも生きられるかもしれないが
きっと後で「あの時〇〇だったら」と一生口にすることにならないか?
だから、私は親に行った。
「俺が死ぬ時、親の為に夢を諦めたと悔やんだら、責任取れんのか?」って
親はその後から歌手活動について何も言わなくなった。
今でも親には感謝してる。
何も言わずに応援してくれたことを。
そして、様々な経験をした20年後、
私は親にセクシャリティーをカミングアウトした。
親が思い描いていた息子に対する夢は
ことごとく打ち砕かれただろう。
しかし、この人生は私の人生であり
大学まで出した息子の「ありのまま」を受け止める経験しなければいけないのが親の人生である。
だから、私はありのままの自分で生きることで幸せになる。
今私は、歌手活動をせず、新たな夢を進んでいる。
なぜ?それは、今やりたいことだからだ。
「ありのままの自分で生き、自分の持っている本来の魅力を活かし自己実現していける人を増やしたい」
それが今の「やりたいこと」である。
世俗や過去の経験に縛られ、正解のわからない人に、自分を大切にする生き方を伝えたい。
それは、本音を体現し、本来持ち合わせている自分の感覚・直感を信じられる生き方。
ありのままでいいじゃん。
もっと自分出して良いじゃん。
もっと自分出して良いじゃん。
これは「わがままを言う」と言う事ではなく、「本音を言う」ということだ。
会社や集団の中では、上下関係もある。
先輩後輩という立場で、理不尽な思いをしている場合もあるだろう。
先輩後輩という立場で、理不尽な思いをしている場合もあるだろう。
パートナーとの関係も割り切った関係が当たり前になり、
意思疎通もちゃんとできておらず
意思疎通もちゃんとできておらず
本当の信頼関係が結べていない人もいるだろう。
ありのまま自分で生きることは、時に誰かに傷つけらる事もあるかもしれない。
しかし、自分が「受け入れている」ことが大切であり
周りを気にしているということは、どんな自分も受け入れられていない、愛せていない。
ということになる。
そして、誰かからの一言は
視点を変えればその相手は自分の鏡であり、自分の在り方を見直す大切な機会である。
そもそも、自分が自分らしくいれないなら、その時点で悩みもストレスも既にある。
私は、隠すが当たり前で生きてきた。
でも、隠す必要がなくなったときの、身の軽さ・世界が明るくなった感覚は今でも覚えている。
あなたはどんな自分で生きたいですか?
この人生の主役はあなたです。
堂々とありのままで生きていいんです。
そのありのままを誰も受け入れてくれないなら、私が受け入れます。
そこから一緒にあなた自身の新しい世界を築いていけば良い。
人生に早いも遅いもない。
今気づけたなら、気づけたその瞬間から自分と向き合い、ありのままの自分で生きることを始めてみれば良い。
これまでの自分を否定することはない。むしろこれからの自分に活かせばいい。
自分についた思考癖や思い込み、吐き出せてない感情は、慣れるまで私が整理する。
これまでの生き方でついてしまった発声癖は、ありのまま自分が出せるように戻せばいい。
自分で自分のことに気づけるまで、私は全力でサポートする。
自分と向き合うことに終わりはない。
それが共通して言える
私たちが人生の中ですべき「経験」である。
私たちが人生の中ですべき「経験」である。
共にありのままの自分で生きよう。
共にありのままの自分で自己実現していこう。
そして、ありのままの自分を体現していくことで、誰もが輝ける、誰もが尊重し合える世界を作ろう。
これが今の私の夢である。