
PROFILE
保育士専門コーチ
1980年生まれ・大阪府出身
公立保育所で保育士歴20年以上/5児の母
私は20年以上、公立保育所で子どもたちと向き合ってきました。
でも、ずっと「自信のない保育士」でした。
理想の保育はあるのに、現実はうまくいかない。
周りと分かり合えず、誰にも弱音を吐けなくて、いつも孤独でした。
保育の仕事は大好きなのに、うまくいかず、何度も挫折しました。
我が子の子育ても同じでした。
「自分の親のようにはならない」と奮闘していたのに、
気づけば同じことをしている自分に気づき、心が折れました。
「こんなに頑張っているのに、なぜうまくいかないんだろう?」
自分を責め、人を羨み、
うまくいかない原因を他人のせいにしてしまうこともありました。
──私は「自分と向き合うこと」から逃げていたのです。
でも、そんな自分が嫌で、どうにかしたくて。
心理学やカウンセリングの学びを始めました。
そこで出会ったのが「潜在意識」の世界。
幼少期の体験や環境が、私の“今”を形づくっていたことに衝撃を受け、
潜在意識の学びを深めていきました。
なぜ、私はこんなに苦しかったのか?
──その答えは「自分を生きることを、幼いころにあきらめていた」からでした。
私は複雑な家庭環境で育ち、
家に安心できる居場所はありませんでした。
「誰も私をわかってくれない」そんな孤独を抱えて生きていました。
唯一の救いは、幼稚園の担任の青木先生。
私の家庭環境を理解し、どんな私も受け入れてくれたその先生の存在が、心の支えでした。
でも、先生が産休に入ったとき、私は心の居場所を失い、
そこから“心を閉ざして生きる”ようになったのです。
45歳になったある日、ある出来事をきっかけに、その青木先生の記憶が突然よみがえりました。
顔も名前も忘れていたはずなのに──。
でも私はずっと、心の奥で青木先生のまなざしに支えられていたのです。
私は一度、小学校教諭を目指しましたが、途中で挫折しました。
保育士資格を取り、成り行きで保育士になった…と思っていたけれど、
「あのときの経験が、すべて今に繋がっていた」
そう、心から思えるようになったのです。
『信じて待つ』
これは、誰かに教わったわけでも、マニュアルに書かれていたわけでもありません。
保育士として担任を持つようになった頃から、自然と私の口から出ていた言葉です。
「この子には、この子の人生を生き抜く力がある。
だから、私たちにできることは、信じて待つこと──」
そう語っているときの私は、自分でもわかるほど、自信に満ちていました。
この在り方こそが、
青木先生が私に“無言で”教えてくれていたものだったのです。
あの先生のまなざしは、ずっと私の中で生き続けていた。
そのことに気づいたとき、私は思いました。
「保育士という仕事は、ここまで人の人生に影響を与えるものだったのか」と。
乳幼児期は「人生の土台」を育む時期。
──それを、私は“自分の人生”を通して体感したのです。
スキルではなく、「在り方」こそが、保育の本質。
自分を大切にすること。
人に頼ることを怖れないこと。
子どもに向けるまなざしと同じ優しさを、自分自身にも向けてあげること。
そして──
「自分の可能性を、信じて待つこと」。
それができるようになったとき、私はようやく肩の力が抜け、
心から保育を「楽しい」と思えるようになったのです。
我が子をありのままに見られるようになり、
子どもの問題行動も自然となくなっていきました。
「好きなこと、やりたいこと」を心から応援できるようになり、
家族との関係にも変化が訪れました。
もちろん、
『在り方』だけでいいんだと言ってしまえば理想論になってしまうことも
現場に20年居たわたしは知っています。
現実には、目の前に子どもたちがいて
日々、その子達をどのように保育するのか、、、そこに向き合わされます。
子どもや保護者さんとのコミュニケーションの取り方、テクニックも
この『信じて待つ』という在り方から生まれたものがあります。
なぜ、上村先生だと、子供が素直に話を聞くの?教えて欲しいと
何度も言われてきました。
それは、わたしが子どもだけでなく全ての人の可能性を信じているから
この人が悪いんじゃない、そう見えているだけ
この人は自分の人生の最善を生きている。その過程にいるだけ
その信念のもと、
目の前にいる人の状態を先入観なく観察することを大切にしているから
ありのままのその人を見るようにしているから
子どもたちも安心してくれるのだと思っています。
私は保育士として、「いい保育士」だったとは思いません。
失敗ばかりの毎日でした。
でも、だからこそ、伝えられることがあります。
「誰だって、最初はできない」
できない自分を責めるのではなく、
迷いながらも続けている自分を、どうか認めてあげてほしい。
私は何度も失敗を重ねて、ようやく「頼る勇気」を覚えました。
「失敗したからこそ、悩んでいる保育士さんの気持ちがわかる」
自信が持てない。職場で孤独。理想とのギャップがつらい──
あの頃の私と同じように悩んでいるあなたに、今はこう言いたい。
「大丈夫だよ」って。
在り方が変わると、保育が変わる。
スキルじゃない。正解でもない。
本当に子どもとつながるためには、まず“自分自身”とのつながりが必要だった。
「誰にも言えなかったことを話せる場所」が必要。
私が一番欲しかったのは、「否定されない関係」でした。
だから今は、私がその場所になりたいと思っています。
今、保育の現場は本当に厳しくなっています。
子どもを保育する以上の仕事に追われ、疲弊して辞めていく保育士さんも多い。
私もその一人でした。
でも──
それはあなたのせいじゃない。
あなたは、もう十分頑張っています。
まずは、そのがんばってきた自分を認めてあげてください。
保育って、本当はもっと楽しい。
そう思える保育士さんが増えたら──
子どもたちはもっとのびのび育ち、
保護者は安心して頼ることができ、
職場には優しい連鎖が生まれていく。
そして、社会全体にもやさしい光が広がっていく。
保育士が自分らしく楽しんでいること自体が、
未来へのギフトになる。
それが、私の信じている「希望」です。
失敗ばかりの保育士人生だったけれど、
だからこそ伝えられることがある。
〜ここまで読んでくださったあなたへ〜
安心して、自分らしくこころから保育を楽しめるますように。
私は、そんな一歩をともに歩んでいける、そんなコーチでありたいと思っています。
1980年生まれ・大阪府出身
公立保育所で保育士歴20年以上/5児の母
私は20年以上、公立保育所で子どもたちと向き合ってきました。
でも、ずっと「自信のない保育士」でした。
理想の保育はあるのに、現実はうまくいかない。
周りと分かり合えず、誰にも弱音を吐けなくて、いつも孤独でした。
保育の仕事は大好きなのに、うまくいかず、何度も挫折しました。
我が子の子育ても同じでした。
「自分の親のようにはならない」と奮闘していたのに、
気づけば同じことをしている自分に気づき、心が折れました。
「こんなに頑張っているのに、なぜうまくいかないんだろう?」
自分を責め、人を羨み、
うまくいかない原因を他人のせいにしてしまうこともありました。
──私は「自分と向き合うこと」から逃げていたのです。
でも、そんな自分が嫌で、どうにかしたくて。
心理学やカウンセリングの学びを始めました。
そこで出会ったのが「潜在意識」の世界。
幼少期の体験や環境が、私の“今”を形づくっていたことに衝撃を受け、
潜在意識の学びを深めていきました。
なぜ、私はこんなに苦しかったのか?
──その答えは「自分を生きることを、幼いころにあきらめていた」からでした。
私は複雑な家庭環境で育ち、
家に安心できる居場所はありませんでした。
「誰も私をわかってくれない」そんな孤独を抱えて生きていました。
唯一の救いは、幼稚園の担任の先生。
私の家庭環境を理解し、どんな私も受け入れてくれたその先生の存在が、心の支えでした。
でも、先生が産休に入ったとき、私は心の居場所を失い、
そこから“心を閉ざして生きる”ようになったのです。
45歳になったある日、ある出来事をきっかけに、その先生の記憶が突然よみがえりました。
顔も名前も忘れていたはずなのに──。
でも私はずっと、心の奥でその先生のまなざしに支えられていたのです。
私は一度、小学校教諭を目指しましたが、途中で挫折しました。
保育士資格を取り、成り行きで保育士になった…と思っていたけれど、
「あのときの経験が、すべて今に繋がっていた」
そう、心から思えるようになったのです。
これは、誰かに教わったわけでも、マニュアルに書かれていたわけでもありません。
保育士として担任を持つようになった頃から、自然と私の口から出ていた言葉です。
この子には、この子の人生を生き抜く力がある。
だから、私たちにできることは、信じて待つこと──
そう語っているときの私は、自分でもわかるほど、自信に満ちていました。
この在り方こそが、
幼稚園の先生が私に“無言で”教えてくれていたものだったのです。
あの先生のまなざしは、ずっと私の中で生き続けていた。
そのことに気づいたとき、私は思いました。
「保育士という仕事は、ここまで人の人生に影響を与えるものだったのか」と。
乳幼児期は「人生の土台」を育む時期。
──それを、私は“自分の人生”を通して体感したのです。
スキルではなく、「在り方」こそが、保育の本質。
自分を大切にすること。
人に頼ることを怖れないこと。
子どもに向けるまなざしと同じ優しさを、自分自身にも向けてあげること。
そして──
「自分の可能性を、信じて待つこと」。
それができるようになったとき、私はようやく肩の力が抜け、
心から保育を「楽しい」と思えるようになったのです。
我が子をありのままに見られるようになり、
子どもの問題行動も自然となくなっていきました。
「好きなこと、やりたいこと」を心から応援できるようになり、
家族との関係にも変化が訪れました。
私は保育士として、「いい保育士」だったとは思いません。
失敗ばかりの毎日でした。
でも、だからこそ、伝えられることがあります。
「誰だって、最初はできない」
できない自分を責めるのではなく、
迷いながらも続けている自分を、どうか認めてあげてほしい。
私は何度も失敗を重ねて、ようやく「頼る勇気」を覚えました。
「失敗したからこそ、悩んでいる保育士さんの気持ちがわかる」
自信が持てない。職場で孤独。理想とのギャップがつらい──
あの頃の私と同じように悩んでいるあなたに、今はこう言いたい。
「大丈夫だよ」って。
在り方が変わると、保育が変わる。
スキルじゃない。正解でもない。
本当に子どもとつながるためには、まず“自分自身”とのつながりが必要だった。
「誰にも言えなかったことを話せる場所」が必要。
私が一番欲しかったのは、「否定されない関係」でした。
だから今は、私がその場所になりたいと思っています。
今、保育の現場は本当に厳しくなっています。
子どもを保育する以上の仕事に追われ、疲弊して辞めていく保育士さんも多い。
私もその一人でした。
でも──
それはあなたのせいじゃない。
あなたは、もう十分頑張っています。
まずは、そのがんばってきた自分を認めてあげてください。
保育って、本当はもっと楽しい。
そう思える保育士さんが増えたら──
子どもたちはもっとのびのび育ち、
保護者は安心して頼ることができ、
職場には優しい連鎖が生まれていく。
そして、社会全体にもやさしい光が広がっていく。
保育士が自分らしく楽しんでいること自体が、
未来へのギフトになる。
それが、私の信じている「希望」です。
失敗ばかりの保育士人生だったけれど、
だからこそ伝えられることがある。
誰もが安心して、自分らしく保育を楽しめるように。
私は、そんな一歩を、ともに歩んでいきたいと思っています。
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