
PROFILE
認定スピリチュアルメイクヒーラー/認定ブレッシングメイクヒーラー/リザスト秘書/看取り士
【霊性の道を伴に歩みます★90歳の両親を在宅介護3年】
🌟認定スピリチュアルメイクヒーラー
🌟Soulブレッシングメイクヒーラー 認定2級講師
🌟からだビューティ研究所 ファスティングビューティアドバイ
ザー
🌟一般社団法人日本看取り士会 認定看取り士
🌟リザスト秘書
【活動エリア:岐阜市近郊(東海)・東京近郊】
毎日のメイクの時間をご自身と繋がり祝福する時間にしませんか
Soulブレッシングメイクヒーリングは、わたし(和多志)という神に繋がるツールです。
Soulブレッシングメイクヒーリングという霊性の道を伴に歩みます。
わたしが和多志として、本来の姿、神であるあなたを あわらわしていきましょう。
サポートいたします。
【ここまでのあゆみ】
家長制度の時代を生きてきた祖父母と、両親のもと、次女として生まれた。
幼少期に、祖父が男子の後継ぎがいないことで「誰が家を継ぐんだ」と言っていたことをかすかに記憶している。その時、空気が凍り付く感じで、祖父が男子を産んでいない母を責めていると感じた。幼いわたしは、わたしが男の子で生まれなかったことで、母が大変肩身が狭い思いをしていると感じて、『わたしは女の子で生まれてくるべきではなかった』と悟った。家は余裕がある暮らしではなく、家を継ぐ男子でもなく役に立たないのに、成長していくのにお金の負担ばかりかける存在として、わたしは自分を存在否定した。
母は要領が良いタイプではなく、氣の良い調和を好む人だったと思う。
茶華道をたしなんでいたが、お茶事の段取り、役割などの打ち合わせ、お役割間のエネルギー調整的なやりとりについて、よく電話で長く話していた。母が長電話をすることついても、祖父母は快くは感じておらず、「また、つまらない事で長電話をして」と疎んでいることを、わたしは居たたまれない思いで身を潜めていた記憶がある。
まわりの目を気にして、息を殺して生きてきた。
引っ込み思案で人見知りだった。
子どもの頃の限られた世界で、当時のわたしの頭の中で思っていたのは
・自分は存在価値がない
・自分は人に好かれない
・わたしはわたしが嫌いだった。
子どもは親に似るから
わたしは自分が嫌いだから、似た嫌いな子どもは作りたくない、子どもを産みたくないと思っていた。
誰もわたしを好きにならないから、一人で生きていかなければならない。人に迷惑を掛けないように生きなければいけない。
一人で生きていけるように、自立しなければいけないと思っていた。
早く家を出たいと思っていた。
社会に出る前に人見知りを克服したいと受講した自己啓発セミナーが、人生のターニングポイントとなる。人との繋がりを感じ、嫌いな自分を少し好きと、自己肯定感を感じる体験となった。4日連続のセミナー中に同じグループで参加していた8歳年上の男性に好意を持ち、初めて男性とお付き合いをした。
また、以前では到底考えも及ばない企業(株式会社リクルート(現:株式会社リクルートホールディングス)にチャレンジしようと思い就職、上京した。時代はバブル景気全盛期で、高学歴・高収入、3高男性を射止める女性が勝ち組という風潮があった。当時は、負け組にはならないように。他人から、そこそこの人だと認められたい思いだけで生きていたように思います。
素晴らしい職場環境・先輩方に出会うも、営業の仕事に苦手意識があり、自分には出来ないと辛い日々。しかし、特にしたい仕事がある訳でもない。得意な事や、秀でた事も、資格も何もないわたしでした(自己肯定が低く、そう思っていました)。
自分の天職に出会いたいと、自己啓発セミナーを続けて受講。営業職に限界を感じ、退職して、自分探しの旅、広大な大地に身を置きたくてカナダへワーキングホリデーに出掛けた。旅は楽しかったが、自分探しに明確な答えを見いだせないまま帰国。「もう20代後半だから」と堅実な仕事に就いた方が良いと考え、安定した生活を求めて地元の金融機関に再就職。(当時は女性は25才前に嫁入りするのが望ましい。高学歴で大企業にお勤め=高収入の高身長男性と結婚するのが幸せという社会通念があった。)
しかし、しばらく銀行員の生活を続けて「堅実に生きることは自分が求めていない」と実感する。学生時代から受講していたセミナー会社に、瞑想やボディワークの新しいコースが開設されて受講。瞑想やボディワークにより、自分の体の緊張を分かって緩めたり、自分の内面に静けさを感じる体験をして、安らぎを感じた。もっと学びたいと感じ、アシスタントをしていたが、「これこそが自分のやりたい事。わたしが本当にやりたい事をして生きる」と決意。周りの反対を押し切って金融機関を退職。セミナー運営スタッフに就いた。
そこで、わたしは初めて「自分の本当にやりたい事を自分にさせてあげる喜び」を実感しました。同時に、セミナー運営の段取りやオペレーションを通して、営業職では成績を上げられなかった私が、人に喜んでもらって役に立っている体感と喜びを経験しました。
バブルがはじけ景気が悪くなるにつれて、時代の煽りを受け勤務先のセミナー会社が倒産。その後、さまざまな業種、企業の業務を経験。出版物の制作・編集・校正業務、印刷会社で製本業務、パソコンを使った業務などをおしえたり、セミナー・イベントなどの企画・運営・事務、企業家の事務サポート、動画編集、金融系の電話オペレーター業務など。その他、飲食店のホールや調理補助、ホテルのクロークや配膳など、さまざまな企業や業種での仕事を経験する。
さまざまな企業や、業種で仕事をするうちに、会社が求める人材になろうとしている自分に違和感を感じ、また、求められる人材にはなり切れない自分のパフォーマンスの限界を感じ、会社に貢献する形ではなく、自分の本当に好きな事を仕事にしたいと思う。会社勤めをやめて、リザスト秘書業で個人事業主となる。複数のクライアントの業務を、主に在宅で行う。
一般社団法人ブレッシングメイク協会 事務局のお仕事を紹介いただき、Soulブレッシングメイクヒーリングに出逢う。ブレッシングメイクヒーリングの素晴らしさに大感動。協会事務に携わるうちに、自らもアーティストとしてブレッシングメイクを女性に伝えたいと養成校で学んだ。
ブレッシングメイクヒーリング、そして、スピリチュアルメイクヒーリングを学ぶ中で、
わたしが女性であることを癒してきた
姉妹愛を取り戻してきた
そして、メイクヒーラーとして活動する中で、
わたしだからこその特性、あり方に氣づき、本来のわたしの真実に目覚め、和多志の命をいかすことを深めていっている。
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